多賀大社は「寿命長久」「縁むすび」の御霊徳高く、 古くから「お多賀さん」と呼び親しまれた淡海国(近江国)第一の大社です。
多賀大社の御祭神、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)は、 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の親神であり、 我が国の国土を始め八百万(やおよろず)の神々をお生みなされた神様であります。
『お伊勢七度 熊野へ三度 お多賀さまへは月まいり』
『お伊勢まいらば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の
子でござる』
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多賀大社は「寿命長久」「縁むすび」の御霊徳高く、 古くから「お多賀さん」と呼び親しまれた淡海国(近江国)第一の大社です。
多賀大社の御祭神、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)は、 天照大御神(あまてらすおおみかみ)の親神であり、 我が国の国土を始め八百万(やおよろず)の神々をお生みなされた神様であります。
『お伊勢七度 熊野へ三度 お多賀さまへは月まいり』
『お伊勢まいらば お多賀へまいれ お伊勢お多賀の
子でござる』
【飛鳥寺】
飛鳥寺は596年、女帝・推古天皇の時代に、豪族・蘇我馬子が創建した日本で最初の本格的な仏教寺院です。
【橘寺】
聖徳太子生誕の地とされ、太子建立の七ヶ寺の一つです。建物は何度も焼失し、現在の伽藍は江戸時代以降のものです。
【法隆寺】
法隆寺は、現存する世界最古の木造建築として今なお飛鳥の時代を伝えています。1400年もの伝統を誇り、仏教文化の研究の宝庫として人々の注目を集めています。 また、1993年に日本で最初に世界文化遺産に登録され、世界的に見てもその地位は高まっています。
【中宮寺】
中宮寺は現在の場所から東へ約500mあまりの付近にあったが、中世室町時代に現在の夢殿の東側に移りました。 聖徳太子が母の穴穂部間人皇后のために建立したと伝えられています。 本堂には「三大微笑像」といわれる国宝の木造菩薩半跏像が安置されています。
御朱印慶長5年(1600年10月21日)天下分け目の関ケ原の戦いが繰り広げられた中心地の少し小高い場所に、砦を形取った古戦場記念館が建っています。 正面展望室下の西軍の石田三成、東軍の徳川家康の家紋が映える建物です。
【関ケ原御朱印】
岐阜関ケ原古戦場記念館約7km範囲にある15箇所の史跡・陣跡を巡って購入できる御朱印です。 「関ケ原」の御朱印はショップ来店で購入できますが、他14箇所は自身で撮影した 史跡の写真を スタッフに見せると当該箇所の御朱印を一人1枚購入できます。
高野山結縁灌頂は年に2回あります。
5月に行われる春季胎蔵界結縁灌頂と、10月に行われる秋季金剛界結縁灌頂です。
およそ1200年前、弘法大師・空海が長安にて恵果和尚より授けられた結縁灌頂。 弘法大師が投じられた華(花)は、いずれも大日如来の上に落ちました。 師からその弟子へ、さらにその弟子へ。脈々と受け継がれて来たその儀式に、私たち一般人が参加できる。
【三鈷の松】
高野山、伽藍、御影堂の前にある松の木で、弘法大師が唐(中国)の国へ渡って、明州の港からの帰国の際、師の恵果和尚から贈られた密教法具の一種である「三鈷杵」を東の空に向けて投げた。 「密教を広めるのにふさわしい地へ行くように」という願いを込めて、帰国後、弘仁7年(816)頃、高野山の松の木にかかっていたという、それで高野山の地が真言密教の道場として開かれるようになり三鈷杵と言う法具の先(鈷部)が中鈷・脇鈷と三つに分かれていることから、その形とあわせて 「三鈷の松」とも呼ばれるようになった。 そんなストーリがあり高野山の三鈷松を拾ってお財布に入れておくと、金運アップ!みたいな言い伝えが・・・。
【金神社】
金運アップのパワースポットは各地にありますが、今、最も話題になっているのがこちらのスポットではないでしょうか。 岐阜県岐阜市にある、その名も「金(こがね)神社」は、古くから金運招福・商売繁盛の神社として崇敬されてきましたが、いま、月の最終金曜日、プレミアムフライデーにだけ授与される金文字の御朱印が注目を集めています!
【伊奈波神社】
景行天皇の14年に創建されたといわれ、1900年以上の歴史を持つ古社。 斎藤道三が稲葉山城を築城するにあたり、現在の稲葉山(金華山)のふもとに遷した。 境内は壮大な本殿、拝殿、楼門などが建つ厳かな雰囲気だが、滝や小川も流れ緑豊か。 岐阜の総産土神として篤い崇敬を受けている。
西国三十三所観音霊場・第28番札所「成相山成相寺」
日本三景の一つ天橋立に近い鼓ヶ岳の中腹にある。
「撞かずの鐘」「身代わり観音」などの伝説で知られている。
天の橋立を眺めながらケーブルカーと登山バスを乗り継いで上ることも出来る。
西国札所最北端の寺で、冬は雪が深い。
諏訪大社に四社参りして御朱印を頂きました。
四社参拝記念として、巾着袋を頂きました。
今回の御朱印の旅でも、下社春宮の近くの「万治の石仏」にもお参りしました。
静岡県から山梨県へ3社に、朔日参りをしました。
【富士山本宮浅間大社】
富士山麓の浅間神社は、富士山の噴火を鎮めるために富士山を神(浅間神または浅間大神)として祀ったものであり、 富士山本宮浅間大社は最も早く成立したものとされる。
富士山本宮浅間大社は、全国に多数ある浅間神社の総本宮とされる。
「富士本宮浅間社記」には、大同元年(806)に山宮浅間神社の地から現在地に移転されたとある。 浅間大社は富士山溶岩流の末端に位置しており、境内には、溶岩の間から湧出した地下水が池となった湧玉池(国特別天然記念物)がある。 浅間大社は、噴火を水によって鎮める考え方から、湧玉池のほとりに置かれたと考えられている。 登拝が盛んになるにつれて、村山の興法寺とともに大宮・村山口登拝道の起点となり、周辺に宿坊が成立したと考えられている。
「絹本著色富士曼荼羅図」には、湧玉池で垢離をとり、富士山に登る道者の姿がある。 近世には、幕府の庇護を受け、徳川家康の寄進により慶長11年(1606)現在の社殿が造営された。 寛文10年(1670)の「境内図写」には、浅間造りの本殿や楼門等の社殿、堂社、湧玉池(上池)、鏡池などが見える。
浅間大社は、慶長14年(1609)には山頂部の散銭取得の優先権を得たとされ、安永8年(1779)には幕府の裁許により八合目以上の支配権が認められた。 八合目以上の土地は、明治時代に国有地化されたが、昭和49年(1974)の最高裁判決に基づき、平成16年(2004)浅間大社に譲渡(返還)された。
南宮大社に朔日参りして御朱印を頂きました。
花手水が綺麗!
住所:岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
全国一の宮:美濃の国一之宮
花手水:毎月1日・15日
熊野三山の「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」と 「花の窟神社」「玉置神社」「神倉神社」「飛瀧神社」に参拝して御朱印を頂きました。