西国三十三所観音霊場・第28番札所「成相山成相寺」
日本三景の一つ天橋立に近い鼓ヶ岳の中腹にある。
「撞かずの鐘」「身代わり観音」などの伝説で知られている。
天の橋立を眺めながらケーブルカーと登山バスを乗り継いで上ることも出来る。
西国札所最北端の寺で、冬は雪が深い。
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西国三十三所観音霊場・第28番札所「成相山成相寺」
日本三景の一つ天橋立に近い鼓ヶ岳の中腹にある。
「撞かずの鐘」「身代わり観音」などの伝説で知られている。
天の橋立を眺めながらケーブルカーと登山バスを乗り継いで上ることも出来る。
西国札所最北端の寺で、冬は雪が深い。
諏訪大社に四社参りして御朱印を頂きました。
四社参拝記念として、巾着袋を頂きました。
今回の御朱印の旅でも、下社春宮の近くの「万治の石仏」にもお参りしました。
静岡県から山梨県へ3社に、朔日参りをしました。
【富士山本宮浅間大社】
富士山麓の浅間神社は、富士山の噴火を鎮めるために富士山を神(浅間神または浅間大神)として祀ったものであり、 富士山本宮浅間大社は最も早く成立したものとされる。
富士山本宮浅間大社は、全国に多数ある浅間神社の総本宮とされる。
「富士本宮浅間社記」には、大同元年(806)に山宮浅間神社の地から現在地に移転されたとある。 浅間大社は富士山溶岩流の末端に位置しており、境内には、溶岩の間から湧出した地下水が池となった湧玉池(国特別天然記念物)がある。 浅間大社は、噴火を水によって鎮める考え方から、湧玉池のほとりに置かれたと考えられている。 登拝が盛んになるにつれて、村山の興法寺とともに大宮・村山口登拝道の起点となり、周辺に宿坊が成立したと考えられている。
「絹本著色富士曼荼羅図」には、湧玉池で垢離をとり、富士山に登る道者の姿がある。 近世には、幕府の庇護を受け、徳川家康の寄進により慶長11年(1606)現在の社殿が造営された。 寛文10年(1670)の「境内図写」には、浅間造りの本殿や楼門等の社殿、堂社、湧玉池(上池)、鏡池などが見える。
浅間大社は、慶長14年(1609)には山頂部の散銭取得の優先権を得たとされ、安永8年(1779)には幕府の裁許により八合目以上の支配権が認められた。 八合目以上の土地は、明治時代に国有地化されたが、昭和49年(1974)の最高裁判決に基づき、平成16年(2004)浅間大社に譲渡(返還)された。
南宮大社に朔日参りして御朱印を頂きました。
花手水が綺麗!
住所:岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
全国一の宮:美濃の国一之宮
花手水:毎月1日・15日
熊野三山の「熊野本宮大社」「熊野速玉大社」「熊野那智大社」と 「花の窟神社」「玉置神社」「神倉神社」「飛瀧神社」に参拝して御朱印を頂きました。
【補陀洛山寺】
補陀洛渡海とは、平安時代から江戸時代にかけて、小さな船に閉じこもり30日分の脂と食糧をたずさえて、生きながらにして南海の彼方にあると信じられていた観音浄土を目指すというもので、補陀洛山寺は補陀洛渡海の出発点として知られる寺です。
【妙法山 阿弥陀寺】
妙法山 阿弥陀寺は紀州の南端に位置する妙法山という海抜749mのお山にある真言宗のお寺です。黄泉の国(よみのくに)への入り口として古来より信仰を集めています。
【那智山青岸渡寺】
那智山青岸渡寺は、一千日(3年間)の滝篭りをされた花山法皇が、永延2年(988)に御幸され、西国三十三ヶ所第一番札所として定めたとされ、多くの信者や参詣者が全国から訪れています。
四国八十八の札所は、お大師様の開かれた霊場として、昔から多くの巡礼者を受け入れてきました。
そしてまた、お大師様は四国霊場を開かれるにあたって八十八カ所以外にも数多くの足跡を残されています。
それらは番外霊場として、やはり四国遍路の歴史とともに、人々の厚い信仰を集めてきたのです。 番外札所のうち二十ヶ寺が集まって別格二十霊場を創設されました。
山奥の寺、町中の寺と様々ですが、いずれも大師信仰と切り離すことのできない縁を持っており、様々な大師説話に彩られた札所ばかりです。
四国八十八カ所に別格二十霊場を加えると百八になります。 『百八煩悩消滅のお大師様の道』が、別各霊場開設の主旨でもあります。
岐阜県関市の根道神社境内に、まるで絵画のようだといわれている名もない池があります。
「クロード・モネの絵画”睡蓮”の連作を彷彿とさせる」という評判から「モネの池」と呼ばれるようになりました。
The pond that resembles a picture drawn by Monet
南宮大社に朔日参り《2020年10月1日》花手水・さざれ石・御朱印!
住所:岐阜県不破郡垂井町宮代1734-1
全国一の宮:美濃の国一之宮
高野山結縁灌頂は年に2回あります。
5月に行われる春季胎蔵界結縁灌頂と、10月に行われる秋季金剛界結縁灌頂です。
およそ1200年前、弘法大師・空海が長安にて恵果和尚より授けられた結縁灌頂。
弘法大師が投じられた華(花)は、いずれも大日如来の上に落ちました。
師からその弟子へ、さらにその弟子へ。
脈々と受け継がれて来たその儀式に、私たち一般人が参加できる。
【高野山・結縁灌頂】
「金堂」に入り儀式開始。案内役の僧侶にいきなり「おめでとうございます」と挨拶される。
薄暗い部屋で20人ほどの参加者たちが「南無大師偏照金剛」と唱え続けると偉いお坊さんが登場し、説法。
仏教の「十戒」をお坊さんに続いてみんなで唱える。
奥の間に通されると、いよいよ「秘儀」が始まる。
参加者は紙で目隠しをされ、印を結んだ両指を前を歩く人の背中に突き立てた感覚だけを頼りに、 何も見えない中を進んでいくのである。
説明によれば「仏様の中に入った感覚を味わってもらうため」なのだとか。
この間、「おんさんまやさとばん」という真言をずっと唱え続ける。
かなり長い時間この状態が続くので、催眠術にかかったような不思議な感覚があった。
目隠しされ、ひたすら繰り返される真言の効果で一種のトランス状態に。
その後、僧侶の誘導に従って到達した地点で指の間に挟んだ葉を落とすと、「大日如来!」の声がかかる。
目隠しを外して見てみると、葉は曼荼羅図の中心にある真言宗のご本尊である大日如来の絵の上に落ちていた。 これで仏様と自分のご縁が結ばれた。
何か一つの儀式をやり遂げたという満足感があった。
偉い僧侶から頭に水をかけてもらい、独鈷杵のような仏具を合掌した手にあてがわれて何事か真言を唱えられる。
そして、鏡に映った自分の顔を見せられ、「これが仏様となったあなたのお顔です」というようなことを言われた。
心なしか、穏やかな表情になっていたかもしれない。
最後に、僧侶から今日使った目隠しに御朱印を押したもの、大日如来と書かれた紙に今日使った葉っぱを包んだもの、 和紙でできた「結縁灌頂お守り」、「結縁灌頂血脉」という弘法大師様の絵がかかれた目録のような紙の4点の品をもらい、 90分ほどの儀式は終了となった。